制作と広告とお酒と私

制作と広告とお酒と私の話をします。がんばります。

方法論を議論したところで、結論は「分からない」

方法論は無限。決めるのは自分。リスティング広告もまた然り。 - 制作と広告とお酒と私

いやね、前も言ったんですが方法論って無限にあるんですよ。
その方法論を議論したところで結局結論なんてでないんですよ。神じゃあるまいし。

だから、方法論の議論なんてマジで無意味・不毛・人生の無駄でしか無い。

と、思うわけです。
方法論を考えることなんて諦めてしまえ。まじで。

 

 

今、考えていることは「方法論」なのか「目的論」なのか

方法の良し悪しというのは結果からしか分からないというのが僕の考えである。
もちろん、事前にある程度の推測は立てる。
が、あくまで推測は推測であり結果なんてだいたい違ったりする。
その結果からの新しい考察は必要であろうが、事前の判定なんざ無理だ。

だから、あくまで考えないといけないのはもっと上流のことだと思う。

・なんのためにこれをやるのか?
・だれのためにこれをやるのか?
・これをやることでどうなりたいのか?
・これを行うことで世界がどう変わるのか?
・自分がそれをどう変えたいのか?

例えばこういうこと。

 

これの良し悪しは判断できる。
自分のポリシーだったり、クライアントの意向だったり、会社として向かう姿だったり。

そういうものに対しての差異があるのか、ないのか?
やって良いのか、悪いのか?
やるべきなのか、やらないでよいのか?

方法の各論から入ると、「どうやったら良いのか?」という話にしかならない。
目的の奔流から入ると、「やるべきなのか?するとしたらどうあるべきか?」という話になる。

 

考えることっていうのは、こういうことだと思うんだよね。

分かんないことを考えても答えなんて出ないんだから。
まずは、考える必要があるのか無いのかの判断からするべきなんじゃね?

 

どうやったら良いか?なんて、やりたいようにやってしまえよ。
自信が無いなら最初っからしなくていいんだからさ。
きちんと自分のやるべきことが分かってたら、方法なんておのずと分かるもんだよ。しらんけど。