制作と広告とお酒と私

制作と広告とお酒と私の話をします。がんばります。

思考の消失点の話

月末と年度末が同時に来た感じですね。普通ですね。

最近、外が寒いこともあってだいぶこもって制作ばっかやってます。

 

Twitterで言ってたんですけどDMももらったんで下記のことでも。

 

「なんだよこれー!俺のほうがうまく作れるわー」的な話は、

広告の仕事をしているとよく聞く話なわけです。

まぁ実際イマイチなものも散見されますし、お気持ちはお察しいたします。

 

でもね、『じゃあどうやって変えたら良くなるか?』って話は往々にして出てこないものです。 

「このコピーだと誰も響かないわー」ってのはよく聞くんですが、

「このコピー、こうやって変えたほうがいいのにー」みたいなのはあんまないじゃない?

 

たまーーーーーーに、「俺、ディレクターだから別にデザインできなくていいし」

ぐらい開き直る方もいらっしゃいますが、まぁそれはそれで良いのですが、

できたものに、やいのやいの言うだけってのはディレクションじゃない気がするんですけどね。

どうなんでしょ。まぁこれは話し別だからいいんだけど。

 

 

思考の消失点の話

これって、むかし何かで見たことある気がするんですよね。

なんか別の言い方があったと思うんですけど、知ってる人いたら教えてください。

 

僕は「消失点」っていう言い方をしてるんですけど、

本来の消失点の意味とは違うのであしからず。

 

これ、文字でもデザインでも、その他全てのことを総まとめにして、

「思考の消失点」っていう言い方をしています。 

 

僕は基本的に「考えていること」と「やっていること」ってのは、

必ずしも一致していないと思っているんですね。

 

僕個人の話ではなくて、一般的な話です。

 

以前、武井壮さんがテレビで「自分のカラダを思った通りに動かせるか」みたいな話を

マツコの知らない世界だったかな?かなんかで話ししていましたが、

あれに近いイメージです。

 

言行一致って言葉がありますが、

これができる人を「芯が通っている」と表現するものと思っています。

 

それで、できない人ってのはなにかって言ったら、

思考の消失点までの距離が短いって感じなんですね。

 

言ったこと・やりたいこと・できそうなことってのはイメージできるんだけど、

それに実が伴っていないっていう状況です。

 

自分で書いてて耳が痛い話ですが。

 

 

で、だ

「 編集者」っていう言い方をしているんですが、

別に紙面やドキュメントに限らず、なんていうかな、「表現者」とかのほうが正しいかもしれないですが。

 

表現の方法っていうのは、方法論だから無限にあるんですよ。

以前もリスティング広告のことでそれについて書きましたが。

 

別に手段・手法ってのは人それぞれなんです。

「他人に何かを伝えようとしている人」、それがデザイナーのようなデザインの人だったり、

ライターのように文章で伝える人だったりそれは様々だと思うのですが。

 

「他人に何かを伝えようとしている人」というのは、この消失点というのをいかに失くすか。

どうやって噛み砕くか。どうやって表現するか。

その無限の方法の中で選択し、きちんとアウトプットして誰かに伝える。

 

ということだと思っているんですね。

 

もちろん、全ての人がそうしているわけではないですし、

以前書いたように、それが主観であってもいいと思うんですよ。

 

方法論はなんでもいいんです。

なんていうか、気概というか姿勢というかそういう精神世界の話かもしれないですね。

 

 

広告ではとても大切なことだと思っているんです

ちょっと話は変わるんですけど、

「売れるLPの定型ってありませんか?」って聞かれることが死ぬほど嫌いです。

気持ちは分かるんですけどね。

 

でも、本当はそうじゃないと思っているんです。広告って。

 

今は恵まれていて、自分のやりたいお仕事だけやらせてもらっていますが、

本当に良い商品やサービス、場所があって、それをまだ知らない人がいて。

それを繋げることができるって、めっちゃいい仕事だと思ってるんです。

 

「あー、自分がやることで騙される人が減ってくれたらなー」とか、

「この商品を手にとってくれる人が増えてるなー」とか、

そういうのって広告やってて一番良い瞬間だと思ってるんですね。

 

で、それをするには、情報を正確に伝える必要があるんです。

それは、スペック的な内容だけではなくて、

温度感や背景やそれを取り巻く環境とか、究極的にはそういったのも全てですね。

自分ができているかっていったらそうじゃないのかもしれないけど。

 

としたときに、消失点までの距離が短い人だと、

どうしてもそれが無理なんですよ。

 

先の定型って話じゃないですけど、テクニックとかそういった話になっちゃって。

もちろんそれで売れるかって言ったら売れちゃうんですよ。

だから難しいところなんですけどね。

 

なにに心の軸足を置くかって話なんですが、

僕はきちんと伝えたい。って思っているんです。

 

 

消失点を失くすために

だから、僕はそうした「思考の消失点」というものを失くすというか、

できるだけ遠くになるように、できるだけ正確に情報を伝えたい。って思うんです。

 

じゃあ、そのためになにをするかって話なんですけど、

これって、知識経験思慮しか無いと思うんです。

 

だから、いろんなことを知るためにいろんな情報に触れる必要はあるし、

だから、いろんな経験をできるだけたくさんいろんな環境で触れる必要はあるし、

だから、いろんなことを日常的に考えていろんな人と話す必要はある。

 

これって先天的に持っているものじゃなくて、

積み重ねでしか無いと思うんですね。

 

どれだけ真面目に向き合って、どれだけ真面目に取り組んで、どれだけ真面目に考えてるか。

ってだけの話だとは思うんですけども。どうなんですかね。

 

じゃあ、たくさん仕事をしろっていう話かというとそうじゃないですし、

色んなモノを見たり、それは漫画とかアニメでも全然良いと思いますし。

 

ただ、出会ったものや起こった出来事というのは、

ひとつひとつ自分なりに受け止めていって、考えて、

そうすることでもっと自分の人生は幸せになるんだろうなーって思ってます。

 

 

・・・っていうことを書いてても、

結局のところ、幸福論みたいな話になっちゃうのは、

僕の消失点までの距離がまだ短いんだろうなーって思うっていう話でしたとさ。

 

ちゃんちゃん。

 

 

 =追記=

 忘れ癖。