制作と広告とお酒と私

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言霊の存在を知ってから、口に出す言葉の機微を気をつけている

突然ですが「言霊」ってご存じですか?

言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。

言霊 - Wikipedia

初めて言葉を聞いたのはサザンの「愛の言霊」。

意味合いをなんとなく理解したのは、Romancersめだかボックス夜桜四重奏などの

マンガ・アニメを見てからでしょうか。

 

万葉集の時代から「言」と「事」が同じに捉えられていたほど、

口に出して発する言葉のチカラというのが重要視されていたようです。

 

ちょっと抽象的ですけど、今日は言葉のチカラの話をします。

 

 

言葉には強弱などの要素がある

…あまり強い言葉を遣うなよ

弱く見えるぞ

BLEACH藍染惣右介の言葉ですが、どっかで聞いたことがある人も多いと思います。

(前後の詳しい文脈についてはBLEACH20巻を御覧ください)

 

ここにもある通り、言葉には強弱があります。

強い言葉は、相手にも強い印象(やダメージ)を与えるし、

弱い言葉は、その逆になります。

 

強弱だけじゃなく、

温かさや冷たさ・優しさと厳しさ・固さと柔らかさ

というような特徴をもっていると思っています。

 

言葉そのものが持つ強弱もあれば、

その前後の文脈や情景や背景によって左右されるものもあります。

 

例えば、前段の愛染の言葉だけを見ると、「優しく諭す」ような要素に見えますが、

前後のやりとりを見ると「不遜や見下し」という要素に見えます。

(詳しくは買って読んでね!)

 

言葉のもつ意味だけでなく、前後のコンテキストを踏まえることで

全く違う色や要素を出すことになるのです。

 

 

日常的に否定的な強い言葉を使わない

僕の口癖は「バカ」でした。

漢字の「馬鹿」ではなく、カタカナで「バカ」。

(過去形にしていますが、未だによく使ってしまいます。)

 

上記に限らず、比較的強い言葉を使っていました。

「あいつはダメだ」「それはない」「意味がわからない」

例えば、こういう言葉ですね。

 

逆に言うと、これは僕自身の自信の無さでもあるわけです。

言い切ることで自分に言い聞かせている。そう納得させている節もあるわけです。

 

だからこそ、理解しつつも特に意識せず強い言葉を使っていました。

 

それを省みて言葉の重みを受け止めたのは、

尊敬するある経営者の方とのお話でした。

 

「〜〜〜、みたいなことがあってね。」

『いや、それ、相手がバカなだけじゃないですか』

「そうは言わないけど。でももうちょっと考えて欲しい気持ちは確かにあるよね」

『だから、やっぱり相手がバカなんですよ。世の中バカのほうが多いですし』

「んー・・・」

 

 

と、その後になんか言われたのですがそこは覚えてないんですけどね。

僕は2回「バカ」って言葉で念押ししたんです。

 

欲しい回答は「そうなんだよ、バカなんだよ」って言葉だったのだけれど、

2回とも言わなかったんです。

そこまで空気を読めない人でも無いから『あ、意図的に言わないようにしてるんだ』

と、(勝手に)解釈をしたわけでした。

(その後の言葉でも後日見返したブログでも、やはり言葉を選んでいるようなので間違いないとは思っているのですが。)

 

そこから、日常での強い言葉(特に否定的な言葉)は使うのを控えているのですが、

これは、具現性が高まるからに他なりません。

 

 

抽象的な思考は言語を通して具現化する

上述の通り、僕が強い言葉を使っていた背景は、

自信のなさなどがあったわけです。

強い言葉を使うことで、強い自分でいたかったわけです。

 

つまり、言葉を通して現実世界の自分の性格まで変えていた。

ということになります。

 

これ自体を否定するつもりもないですし、

逆に良いことだなぁとも思ったりもします。

 

しかし、「強い否定の言葉」に関しては、話が変わります。

 

「あいつはダメだ」と言った相手は、「ダメな人」になります。

「それはない」と言った事柄は、「実現しない」ことになります。

「意味がわからない」と言った相手の言葉は、「二度と理解できなく」なります。

 

つまりは、新しい可能性すら否定してしまいかねない。

あくまで可能性の話ですが。

 

もちろん、どうしようもなくダメなひともいますし、

あきらかにありえないことも、どうあがいても意味がわからないこともあります。

だから、程度の話ではあるんですけどね。

 

全てを受け入れようとすると、またそれは話が変わりますし、

「肯定的な言葉を使って毎日ハッピー☆」みたいなことを言うつもりも無いです。

 

ただ、その言葉の持つチカラをきちんと理解することが大切だと思うのです。

少なくとも、言葉を使うことでマイナスを具現化することだけは止めたい。ということです。

 

 

受け手側の尺度と、言葉の尺度

あとは、どんなに言葉を彩っていても、受け手側のリテラシーというか、

前後の理解力を踏まえないと、意味をなさないのも理解する必要があります。

 

どんなに素敵なシーンで、文学的に告白しようとしても、

「月が綺麗ですね」

『あ、そっすねー』

と返される可能性だってあるわけです。

(意味が分からない子は、「月が綺麗ですね」でググろう!)

 

野球が分からない女の子との合コンで、

「いまいくつ?」

「24です」

「お、高橋由伸の背番号だね!」

なんて言っても理解できないわけです。

(意味が分からない子は、「高橋由伸の背番号」でググろう!)

 

 

工学系の大学に行っていない人との会話の中で、

「いやー、この間メガネふこうと思ってとったらキムワイプでさー」

と言っても「お…おう…」みたいな反応になるわけです。

(意味が分からない子は、「キムワイプ」を買ってみよう!)

 

 

などなど。

これらは極端な例なんですけどね。

 

広告屋さんが

「競合の参入でCPCが高騰して、全体のCPAは上がっています。ただ、CVRはそのままなので〜」

みたいなことを(もういないかもだけど)言うようなのと一緒ですね。

 

同じフィールドの言葉を使うということが大切だよね。ということです。

 

 

そこに「在る」ということを、「知る」

ちょっと長くなっちゃった上に、ここでこういうのも申し訳ないのですが、

あまり、意識しすぎるというのも考えものだと思います。

 

前述のとおり、強い言葉を使うことが必ずしもNGではないですし、

相手のフィールドにたった言葉を使い続けることも必ずしも良しではないです。

 

そのときの状況などにより、一番良い言葉っていうのはあるんだろうなぁ。

とは思うのですが、別に全てに最適解を出すことがmustではないと思います。

 

ただ、そこに「言霊というものがあるんだなぁ」ということを知っていて、

「あぁ、ちょっと強く言い過ぎたなぁ」とか、

「これ、伝わってないかなぁ」とか、

そういうちょっとした気づきみたいなものだと思うんです。

 

そうして、少しずつでも使うシーンや使う言葉が増えていくと、

もっといろんなことが楽しくなるんだろうなぁって思います。

 

おそらくそうした背景こそが、

言霊の正体なんじゃないかと、僕は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

== 書いてみた感想 ==

最後よく分からんこと言ってるけど、なんかいい感じで〆ようとしたなコイツ

 

 

 

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