制作と広告とお酒と私

制作と広告とお酒と私の話をします。がんばります。

羨ましがるだけなのは、終わりにしたい。と思う話

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「努力をしなさい」という言葉は嫌いなのですが、

努力をしようともしない人間はもっと嫌いです。

 

人を羨ましがるのも大概にしないとね、という自戒も込めて。。。

 

 

「羨ましい」で終わるのは、もうやめませんか

いつものごとく、言葉の定義から確認します。

 

他人の能力や状態をみて、自分もそうありたいと願うさま。また、他人をねたましく思うさま。

羨ましい(ウラヤマシイ)とは - コトバンク

 

「羨ましい」という言葉自体は好きなんです。

「自分もそうありたいと願うさま」ってまさにそうですよね。

 

本当は「自分もそうなりたい!」って思っている感じなわけですよ。

定義の通り、度がすきるど「妬ましい」に変わるんでしょうが。

 

ただ、やっぱりあくまで「羨ましい」と思っている段階では、

そうなったらいいなぁって願っているだけで、なにもしてない状態だと思うんです。

 

じゃあ、なんでやらないのか。

 

 

「分からない」は、やらない理由にならない

以前のこの話↓↓↓ で思い浮かべた人との会話ですが、

minmin.hatenadiary.jp

 

「制作だけじゃなくて広告もできるなんていいなー、月額も取れるから羨ましい。」

『まぁ、始めるのは誰でもできますし。やったらどうですか?』

「いやー、でも広告って難しいしやったことないから分かんないじゃん?」

 

みたいな会話があったんですよ。

ちょっと理解できなくて「はぁ」としか言えなかったんですが。

 

「分からない」ってことは「できない」ということの理由になっても、

「やらない」という理由にならないと思うですね。

 

そもそも、極論にすると全知全能じゃないとなにもできないじゃないですか。

Twitterでも広告系のフォーラムでも開発系のフォーラムでも、

著名な人は「これって分からないね、どうなってんの?」

みたいなこと、普通に話してるんですよね。

 

誰だってみんな分からないんですよ。

分からないから、勉強して、理解して、実行・実践して、吸収して。

ってことをみんなが繰り返していると思うんです。

 

誰だって、絶対に初心者だった時期があるんです。

あの広告の運用者だって、予算オーバーしたことがあるでしょうし、

あのデザイナーだって、最初の頃のデザインは黒歴史になってたりするんです。

 

それは、みんなが経験することだと思うし、

あなただけが特別にそれを回避して飛び級みたいなことができるとも限らない。

 

もちろん、先人たちのおかげで失敗する可能性は減るし、

技術の確信で理解力が少なくても、きちんとしたものができたりする。

 

ただ、だからといって。

「分からない」という免罪符を掲げて、なにも着手しないというのは違うのではと思うのです。

 

 

もちろん、「やらない」という選択肢もある

最初の通り、僕は努力しなさいという言葉が嫌いですし、

すべての人が平等に同じ能力が発揮できるとは思ってもいないです。

 

だからこそ、「やらない」という選択肢は非常に大事だと思っています。

 

僕はいつも「ポジティブに諦める」という言葉を使うのですが、

諦めるということを決して悲観的に捉える必要はないと思っています。

 

諦めるという選択をするときに、言い訳ではなくポジティブな理由をつける。

そうすると、他人を認めるとか託すとか、そこじゃない自分の専門性を見つけるとか。

 

そういった、新しいことに繋がると思うんです。

だからこそ、絶対にやり遂げろ!ということではないです。

 

「やらない」ことの理由を、きちんと理解できているか?ということです。

 

 

自分を理解して、行動する

自分を理解するって本当に大変だと思うんです。

以前も、デザイン・広告に沿って話をしたのですが。

 

minmin.hatenadiary.jp

 

本当に難しいと思うんです。自分を理解することって。

 

だから、「羨ましい」っていう気持ちをもったときに、

「本当に自分がその人やコトを羨ましいのか?」

「なんでそんなに羨ましいって思うのか?」

 

って考えていくと、意外とつまづいたりします。

だから、きちんと考えていくと、本当は羨ましくなかったりするんです。

 

いいなー。とは思っても、すでに自分も同じようなことしていたり、

同じようなことを持っていたり、そんなことは多々あります。

 

ただただ、隣の芝生のように綺麗な青さに目が奪われていただけだったりするんです。

 

もちろん、羨ましいということ自体は大切だと思います。

この想い自体は向上心であり、探究心であり、欲求です。

これ自体は大切なこと。

 

ただ、なんでもかんでも羨ましがって、なにもしない。というのは、

誰も幸せにならないし、なんならちょっと迷惑かけたりすると思うんです。

 

・本当に自分もそうなりたいのか?

・ポジティブに諦める理由があるか?

・自分は本当にそれを持っていないのか?

 

というのは、定期的に考えたいと思う今日このごろです。

 

 

ちなみに

はじめの一歩というマンガで、鴨川会長が下記の言葉を鷹村にかけています。

努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる

※「須らく」の誤用問題は今回は触れません。

 

羨ましいと思っているアノヒトは、実は苦労をしています。

先述しましたが、どんなセミナーで喋る人も、どんなフォーラムで書き込む人も、

みな、きちんと、それなりの苦労を重ねて、今に至っています。

 

その費やしてきた時間というのは、もう覆りません。

時間というのは皆平等に、先人たちは自分たちの先を行っています。

 

それを埋めるだけの苦労を、同様かそれ以上これから自分が抱えないといけない。

ということは、きちんと理解して取り組んでいきたいと思っています。

 

 

 

まぁ、楽できるのが一番いいって考えはとても良く分かるんだけどね。

 

 

 

 

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