制作と広告とお酒と私

制作と広告とお酒と私の話をします。がんばります。

人の琴線に触れるということの話

f:id:papath55:20151014163726j:plain

「琴線に触れる」という言葉をご存知でしょうか。

広告という業界の特性上、よく気にする言葉です。

 

今日は「琴線に触れる」ということの話。

 

 

琴線の存在を知る

そもそも、琴線ってなんでしょうか。

コトバンクデジタル大辞泉先生から引用します。

 

心の奥深くにある、物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸にたとえていった語。

琴線(キンセン)とは - コトバンク

 

琴の線って見たことありますか?

あれってものすごく細いじゃないですか。

あれをなぞって作られた言葉だと思うんです。僕は本物の琴見たことないですけど。

 

「物事に感動・共鳴しやすい感情」って言葉だと難しいですけど、

なんとなくイメージできることってありますよね。

 

・ルールを知らないラグビーの試合を見てて震える

・ミュージカルのようなものを見て涙しそうになる

・子どもの運動会で、全然知らない6年生の子の組み体操みて震える

 

とか、そういうなんかよく分からないけど打ち震えることありますよね。

 

 

人の琴線はどこにあるのか

全く分からないモノに魅了されたり、心を奪われたり。

そういう感情って心の奥深くにあるっていうことなんですが、

どこにあって、どういうふうに動かされるのか。を考えてました。

 

先に僕なりの結論を書きます。

 

「人の琴線は感情のゆらぎで触れられる。」

 

と思っています。端的に言うと「ギャップ」ですね。

 

自分が想像・想定している未来よりも、

それを超える振れ幅のギャップがでたときに琴線が揺らぐと思います。

 

自分が想定していた期待以上のことが現実で起こったとき、

その事実に自分の琴線が触れられ、感情が動かされる。ということです。

 

 

ゆらぎにはポジティブとネガティブがある

「琴線に触れる」という言葉自体はポジティブな意味合いで使われます。

ただ、琴線自体はフラットなもので、ネガティブに触れることもあると思っています。

 

・お前をそんなやつだと思わなかった・・・

・なんだこんなもんか・・・

・こんなにお金払ったのにこの程度かよ・・・

 

みたいなものですね。

これは、事前の自分の期待値に対して、結果が下回りすぎていたときの場合です。

 

言葉として「琴線に触れるほど最悪だった」というのは、

誤用だと思うのですが(たぶん、です。詳しい人さん違ってたら指摘をば)

この場合も、状況としては同じ状況と言えると思います。

 

 

琴線に触れたい

そう考えると、簡単に人の琴線に触れることができます。

 

事前の期待値を上げ過ぎない。

 

営業マンの人とかが契約時に「期待値の調整」みたいな言葉を使いますが、

ここに通じると思います。

相手の琴線をネガティブに触れないためのリスクヘッジですね。

 

ただ、そういうの嫌じゃないですか。

自分を低く見せるのって。狡い感じしちゃいますよね。

真っ当な姿でいたいじゃないですか。

あとあとのことも考えて、騙す感じなのも嫌だしさ。

 

でも、感情のゆらぎを与えるには、

期待値をうわまらないといけない。どうしましょうね。

 

 

1mm「だけ」前へ

すごく凹んでいるときに、一瞬で笑顔になって爆笑できないじゃないですか。

たぶん、そんなに簡単に動かせるもんじゃないんですよね。感情って。

 

そうすると、ちょっとだけでいいと思ってるんです。

この間も書いたやつの反対なんですけどね。

 

minmin.hatenadiary.jp

 

これに「元気がない」って項目があるんですけど、

元気がある営業マンってすごく気持ちが良いんですよ。

 

松岡修造さんってめっちゃ見てて気持ちいいじゃないですか。

あまり詳しくは知らないけど、なんか元気になるじゃないですか。

これってもう琴線に触れにきてると思うんですよ。

 

そうしたちょっとしたことでもいい。

1mmだけ深く。少しのことだと思うんです。

 

いつもと違うギャップを1mmだけ与える。

 

速いストレートを投げれるから、遅いチェンジアップが活きるようなものですね。

ギャップがあればあるほど、触れやすくなるのだと思います。

 

 

機微を知る

大きくギャップを与えることで、琴線に触れ大きく振れると思います。

逆に小さいギャップでも、琴線に触れることができるということ。

 

これは、先ほどのネガティブなことでも一緒だと思うんです。

 

ちょっとしたことで人が傷ついたり、

なんてことないことでボタンの掛け違いが起きたり、

ふとしたことですれ違ったり。

 

それらはほんの些細なことなんだけど、

人の気持ちを動かしてしまうものなのかもしれません。

 

相手を慮るということは、相手の細い琴線を

ちぎって壊してしまわないように配慮するということなんだと思います。

 

些細な事だけど、気持ちのゆらぎが作れてしまうのなら、

せっかくそういう機会や能力があるのなら、

ポジティブな方に使いたいなって僕は思うんです。

 

 

況や、広告をや。

広告を作るときも同じなんですね。

 

その広告を見る人が、どんな生活でどんなことを感じて生きているか。

その中で、これから作る広告はどんな場面で見られるのか。

それを見たときに、どれだけのギャップを与えて琴線に触れられるか。

 

ちょっとしたことでもいいと思うんです。

もちろん、成功法則というのは大事だと思います。

 

ただ、毎回毎回、同じようなことを続けることは正しいかどうかです。

いつの時代もどんな場面でも必ず初心者は存在します。

だからこそ、通じる手法というのもあるかと思います。

 

それでも、僕は広告という仕事は、

人の琴線に触れられる仕事だと思っています。

 

それは、スポーツ選手などのアスリートや芸術家と、

手段は違えど変わらないものだと思います。

 

人にメッセージを送れる広告という媒体を使うのであれば、

それは、誰かを傷つけたり節操が無いようなメッセージではなくて、

もっとポジティブに使えばいいのになぁ。と思う次第です。

 

ちょっと最近、強い言葉を使ったり煽り系の文言を多用している代理店を見ると、

とても悲しくなってしまうなー。というお話でした。

 

ちゃんちゃん。