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制作と広告とお酒と私

制作と広告とお酒と私の話をします。がんばります。

伝えたい「世界観」と、伝わっている「世界感」の話。

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あけましておめでとうございます(遅)

新年初エントリーなんですが、実は年明けに書いてた導入文があるんですが、

さすがにもう桜も咲いてる季節なんでね。なんていうか、使えないよね。うん。

 

今日は、世界観と世界感(←造語)の話をします。(結局書くやつ)

 

 

「素晴らしい世界観だ!」の“素晴らしさ”は人それぞれ

例えば、「この映画、すごくおもしろかったよ!」と言われて見に行ったらイマイチだったり、

友達と一緒に美術館行っても見るものが違ってたり。

 

なんていうか、世の中にある物質や出来事やサービスを受けるときとか、

その出来事に対する感じ方って人によって差があるじゃないですか?

 

 

これってなんで起こるのかな?ってところから話をしますね。

 

 

で、結論から言っちゃうと、これは感受性というか、人としての環境や育ちが要因だと思うんですよ。

いわば、受け取り方の問題である。と思うんです。

 

だから、好きなアーティストが違ってたり、好きなブランドが違うってのは、

人それぞれ違う受け口を持っているから必然だと思うんです。

 

逆に、アーティストやブランド側に見てみたら、

「自分はこれが良いと思う!これがサイコーや!」

と思って作ってるであろうわけです。これに受け手が賛同するかどうか。だと思うんです。

 

ってことはですよ、

【発信側が作って・伝えたい世界】というのは、

【受け手側が感じている世界】とは違う。

というわけです。

 

まぁ、人が何考えてるかって分からないじゃないですか?いわばそうゆうこと。

 

で、またいつもの定義マンが出てきますが、僕は

発信側が作っている伝えたい世界のイメージ ・・・ 世界観

受け手側が感じている世界のイメージ ・・・ 世界感

と、違う言葉を使って考えています。

※漢字として正しいのは世界「観」のほうです。「感」のほうは造語ね。

 

これはじゃあどういうことかの話をすると、例えばなんですかね。

 

 

─ そして、世界には僕一人になった…。

 

 

っていう言葉から始まる小説とかがあったとしますね。

で、これってどんな世界を思い浮かべるかって人それぞれじゃないですか?

 

荒野に唯一人、立ちすくんでいる人の姿を思い浮かべる人や、

無数の屍が積み上がった丘に、一人でいる人の姿を思い浮かべる人や、

真っ暗な精神世界で、一人になっている姿を思い浮かべる人がいたりとか。

 

…いや、これ分かりづれえな。

 

簡単な話をすると、「りんごを思い浮かべてください」って言うと、

多分、みんな赤いよくあるリンゴを思い浮かべたと思うんですよね。

でも、欧米の人って多分青いリンゴを思い浮かべるんですよね。

 

こういうこと。

 

伝える人が意図している内容や世界や情報っていうのは、

受け手によって行間の埋め方が育ちや環境で変わるよね。ってところの話ね。

 

これが、「伝え手の世界観」と「受け手の世界感」が違うって表現してるってことです。

 

 

「伝えたいこと」と「伝わっていること」は同じとは限らない

相変わらず前置きが長くなって、書くのに飽きてきました。

 

さて、つまりは、ですよ。

 

「自分が伝えたいことって、果たして本当に相手に伝わっているのか?」

ってことが、日常生活でも往々にして出てきます。

広告の世界で働く人は、毎日欠かさず感じるレベルで起こってくることだと思います。

 

じゃあ、なんで自分の世界観(伝えたいこと)と、相手の世界感(伝わっているもの)に

差異が出てしまうのか?ってところですよ。

 

で、これは、間に挟む「伝えているもの」に原因があるわけです。

 

どういうことかというと、自分の世界観を相手に伝えるまでの流れというのは、

 

1.伝え手の中で考えをまとめる

2.媒体に自分の考えをアウトプット

3.受け手が媒体を通して考えをインストール

 

みたいな流れです。

※ここでいう媒体というのは、メディアという意味ではなくて、媒介を為すもの。という意味です。

 

で、このどこかで必ず問題が起こるわけです。

 

1.自分の考えがそもそもうまくまとめられていない

2.媒体にきちんとアウトプットできていない

3.受け手が媒体から考えが読み取れない

 

のどれかですね。

それで、基本的に広告の話で言うと3に期待はしない。

 

なぜなら、相手の世界感というのはこちらで操作ができません。

なので、受け手側の環境・リテラシーに沿ったアウトプットを作る必要があるわけです。

これが、世界感に寄り添う場合の話。

 

逆に、「自分たちがやりたいこと・好きなこと、これが最高だぜヒャッハー!!!」ということを

100人の内、1人でも分かってくれればいい。そいつのためにオレはやるんだ!

みたいな場合もあるわけです。

これが、世界観に賛同してもらう場合の話。

 

 

どっちが良いか・悪いかの話じゃなくて、

きちんと自分が話を展開するときに、どっちに軸足を置いて話をしているか?

というのは大切だと思うよ。という話。

 

 

伝え手のエゴを貫くか、受け手の感受性に寄り添うか

僕とかみたいな、いわゆる広告クリエイティブと呼ばれるものに携わる人や、

あとはライターさんとかも?かな?リスティングの運用者とかもそうだと思うんだけど。

 

結局、僕達が作るものというのは、作った時点では終わりが来ないわけです。

それを、自分が媒介して多くの人に見てもらって、誰かに伝えたり、感じてもらったり。

 

じゃあ、あとは方法論の話なんですよ。

言いたいことをガンガン言うのか、相手の立場に立って考えて言葉を紡いだり・デザインで表現したりっていうのはね。

 

ホストだって親身な人とオラオラの人で人気が分かれたりするじゃないですか?

多分似たような話だとは思うんですよね。ホストのこと知らないですけど。

 

これはもう、自分の信念とか軸足の置き方の話なので、

どっちが良いとか悪いとかじゃないとは思うんですけどね。

 

 

っていうのは、広告主が一番考えないとね☆

自分が代理店業からtoC向けの設備業を始めて2年ちょい経ちましたが、

要は、これって立場としては、広告主というか事業主の人が一番考えないと行けないと思うんです。

 

 

【自分が新しい世界観を作って、それをこれから新たに大衆に理解してもらう。】

というのは本当に大変です。枠に染まるほうが早いし簡単にできちゃうわけです。

 

ここでいう「覚悟」というのは、

【自分の世界観に対する正義】と【それを啓蒙し切る】ということです。

 

もう、とにかく大変なわけです。新しいことを始めることや、自分の世界観を信じるというのは。

だから、それをやろうとしたときは、きちんと考えないとね。と思うわけです。

 

 

 

 

 

「・・・で、結局なにが言いたかったの?」って読み返して思ったので、

結局、筆者の世界観がブレブレじゃねーか!ということでとりあえずここまでです(飽きた)